11/28/2010

クラウドに対価を払う

いまや、クラウドの時代。だからいつでも、どこでも仕事ができる、降ってくる。

私が安心できるところは、外界と遮断されている航空機の中だけである。いずれ、ここも戦場になるかもしれない。地球上の最後の楽園かもしれない。(航空機内携帯、無線LANのサポート大反対!)

私は、時間が許せば航空機でいけるところで休みをとることにしている。それも10時間以上。そうなると、New Yorkなどになる。まぁ、時間とお金が許せばの話。お金は、平日出の平日帰りでなければ思ったほどの費用はかからない。問題は、その時間を取ることを許す周囲があるかどうかが問題。

たとえば、クラウドで仕事すると、昼間のぼーっとした時間も発生したりする。夜中に終わらしたしと本人は思っていても、周囲からは、あの人仕事してねーな。と思われる。
そう、非クラウドの環境は、時間通りに会社に来て、勤務すること自体が結果になる。クラウドの環境は、いつどこでも仕事してもいいから、物事の結果を重視する。いつどこでも仕事していいということは、仕事をしなきゃいけないと同じで、ちょっとした時間が空けば、休養しておかないといつ仕事になるかわからない。戦士のつかの間の休息ってやつです。聞こえはいいが、非クラウドの環境だと、サボりになる。

昔から言われている、自由が一番キツイということの原点ではないかと思う。アメリカは自由な国だが、先進国の中で一番厳しい国だと思う。自由の対価は、何でも自分で責任をとれということ。食事をまともに取れない収入の人でも、健康ではない人に掛かる治療費でも自分で責任を取る。

そもそも健康は、努力して全人類が手にいれられるものではない。生まれつきの人もいるし、生活上しかたなく、健康を維持できないケースもある。たとえば、ドイツで禁煙政策をすると、旧ナチス時代のホロコーストを彷彿するという声がいまだ大半で、強制はできないらしい。
また、日本でも一部の企業では障害者にもチャンスをということで積極的に採用をしているし、会社名を言えば、誰しもが知っている大企業である。健康をMUSTとしている環境は、世の中を知らなさ過ぎる。もう一度言うが、努力しても健康な状態を手に入れられるとは限らない。その状況に応じて最善の手段をとるべきだと。


閑話休題

その状況に対する、最善の行動として、私の場合、クラウドに対価を払うことって自分で責任を取るために自己投資をすることになるのではと思う。どこでも仕事ができるようにするためにデバイスを入手する事とは、つかの間の休みを手に入れる、航空券なのかもしれない。しかしながら非クラウド環境だと、あの人は新し物好きのマニアだからと思われる。

クラウド環境で働くということは、隣接する非クラウド環境との摩擦も自己責任と感じる今日この頃。
本当にクラウド環境を理解しているところってどこにあるのだろうか?

まぁ、人のつべこべを主張するのではなく、自分の納得いく行動をしていく、それが入り口かもしれない。
そう、シリコンチップが合わさったものだけがクラウドじゃない。

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