今日、本屋に立ち寄った際にLinux関連の本を見つけた。
別にタイトルは、これといったタイトルではなく、中身も申し分ない本だった。。。
でも買う気には到底ならない。金額すらみなかった。
実際、後でAmazonから買う場合もあるが、それも対象外。
どんな本だったかというと、とにかく、Linuxにおける高度な技術的な内容が書かれていた。
heartbeatやら、DRBDやら、LVSなどなど。すぐにそういった知識を手に入れるには、いい本かもしれない。
それ以外にもサーバ、インフラ系の本が山ほどあるが、一つ一つは、ぐぐれば出てくるから、いらないなぁと思う。これらの本の真の偉大さは、「手順書に近い内容で書いてある」こと。
つまり、それに書かれた通りにやればできる。。。素晴らしい。
しかし、原理、原則が書かれていないから、いざトラブルが発生するとなるとお手上げ。
さらに、設計となると基礎技術を知らないまま、手順書となるテキスト通りにやるから、
無理がある設計になる。これで「すごいだろう」と自慢されても、ある意味「凄い」としか言い様がない。
そう、やった、できた、OKはだめの理論である。
確かに周りからは、スピードは求められるけど、これらの本は、大学受験対策に近い。
やった(暗記)、できた(覚えてた)、合格(とりあえず大学生になった)と同じである。そのしっぺ返しは、大学生達は、今の就職活動で身に感じているかもしれないが。
社会人、それもどうにか月給を手に入れられているポジションにいるとなると、気がついたとしても進路変更はかなり難しい。そのような状態だと、かなり人間関係も限られてくるので、気づくことも少ないが。。。
スピード、スピード、スピードと言っている人間ほど、その手にはまるような気がする。
同様なものとして、スキル、スキル、スキルとか資格、資格、資格というスローガンも同じかもしれない。確かに資格がいくつかあれば、はくが付くかもしれない。でも経験がない。結局、資格持ちは役に立たず、経験がある人に白羽の矢が向く(誰もやりたがらない罰ゲームの依頼かもしれないが)。しかしながら、結局は経験をつまなきゃならない。でも、資格、資格、資格と言われている当人は、経験を積むことよりも資格が重要なのである。
こんな状態でいると、結局、手足を出すことに2の足を踏む作業員が量産されてしまうのである。。。
逆にスキルや資格を持っている人は、スキル、スキル、スキルとか資格、資格、資格などのスローガンとは無縁な人。学生時代にいた、頭のいいやつは勉強しているところを見せないのと一緒。そう、興味が学習や経験になっているから。
とはいえ、世の中は回る。ちゃんと日本人のノベール賞受賞者も出た。トータルでみれば、「問題なし」かと。
作業員思考とエンジニア思考の2極化が見えないところで始まるのではないかと。私が考えるシナリオは以下である。
作業員的高級エンジニア
目的:世の中の技術を駆使して、自分たちの仕事に高度な技術を取り入れようとする。
範囲:まだ取り入れていない世の中の技術(WEBや本で情報が出ている)
アウトプット:周り(会社だったら社内)に展開、降ろす。
クリエータ的高級エンジニア
目的:世の中の技術を自分で学習して、必要な部分を組み合わせて、ビジネス展開する
範囲:まだ一般的に理解されるのが難しいといわれるもの(WEBや本で情報が少なからず出ている)
アウトプット:商材としてビジネスに活用
なかなか上手く言い表せないけど、技術志向のやり方って作業員的なものと、クリエータ的に新しく何かを起こすものがあるような気がする。どっちも面白いかもしれないけど、やはり、作業員的なものは、先が見えているような気がする。また、ここで言う技術的なものって、単にソフトウェアやハードウェアじゃなくて、使い方や組み合わせ方、表し方も含まれているはず。
作業員的な人って、やっぱり目に見えるものを期待していて、クリエータ的な人は、目に見えるものというよりは、結果というものを追い詰めているのではと思う。それぞれ、気づかない形でエンジニアはどちらかに収束していく、いっているなと実感する。気づきは大切だけど、なかなか気づかせてくれる環境が少ない。少なくとも今の学校や会社組織では求めても出てこないと思う。
まぁ、後者の人が少なからずいるんだなと思えば、まだ日本も大丈夫かなと。
ノーベル賞受賞者の人が海外へ行きなさいと言っていたけど、日本から出ることが重要ではなく、自分の今、おかれているところから一歩踏み出してみることが重要なんだと思う。海外に日本人同士で留学するのは、宇宙船や飛行士が地球の環境を持ち出して宇宙空間にでることと同じで、普段と違う環境にいて、前者の留学生は、覚える必要のないことを覚えてしまい、後者の宇宙飛行士は、重力がないため、筋肉を減少させてきてしまう。
留学生に気づかせてくれる人や環境もない。。。そう、気づいている人は団体で海外へ無意味に行かないと思う。
昨日の坂本龍一のLA公演のUSTは、まさにそうだったと思う。別に、携帯回線つかって、USTに上げたといえばそれまでだが、大国とは言え異国の地で、東京なら電波状態の良し悪しが見当が付くが、都会であるはずのLAでは、電波状態の見当がつかない。そんな場所で、twitterでヘルプを求め、どうにか帯域を確保して、坂本龍一のLA公演をUSTする。教授の演奏も良かったが、それをやった、平野さんや吉川さんはすごかった。吉川さんは、以前は今は知らない人はいない会社の社長を経験した人である。
いやー、凄かった。ちょっと考え方変わりました。
1 件のコメント:
>気がついたとしても進路変更はかなり難しい。
このくだり、身に染みます。
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