12/31/2010

選択の科学

もう大晦日。年末年始が嫌いな私としては、近頃、良く本を買う。
最初はミレニアムを買いに行こうと思ったが、知り合いの会社社長から借りられるかもしないので、ペンディングにした。次にIT系の本をと思ったが、切断してスキャンしてしまうので、もったいない。その後の本も周りの人間は、全く興味を持たないので処分される運命にある。手順書的な本は喜ばれるが、技術書は、周りには全く喜ばれないのである。

閑話休題
AmazonのWish listまで入れて悩むに悩んで、そこで手にした本は、

選択の科学 シーナー アイエンガーというシーク教徒の家庭に育った全盲のアメリカ人で、コロンビア大学の人である。内容は、選択という行為を科学的に分析している本で、まだ読み始めたばかりだが、とても面白い。

ぜひ、選択に迫られている就職活動中の学生、内定という言葉だけで就職してしまった新入社員、、転職という選択に迷っている優秀なビジネスマンに勧めたい。そう選択をあきらめ、選択に躊躇している人たちへ。

人間は選択をしたいという欲求に満ち溢れ得ている。また、選択をしないと、次の選択ができないのだ。その選択がたと死と隣り合わせでも自分の選択ができれば生き延びることができる。

生きる望みを教えられたテスト用のマウスは、生きる望みをを知らないマウスよりも長生きする。
これで感じたのは、例えば、新入社員をこれでもかというくらい洗脳してしまうと、その後自分では、選択をした経験がないのでロボットのようになり、苦境にぶち当たっても選択ができない。選択は、右か左という簡単なものではなく、選択による失敗や成功かという経験から選択が生まれる。その環境を育むのは、選択をしたいという欲求が満たされる環境、つまり洗脳される環境ではないということ。教えるべきは、自分の選択が常につきまとわれることであること。

次の進むべき進路が見つからない、決まらない学生は、もう一度、選択ができる状態であるということを考えて欲しい。あくまでも進路を決めるのは学生自身、周りの誰から、親、企業ではなく、自分の欲求からくるものある。もちろん、親にも企業にも選択をする自由がある。それだけだ。
企業へ面接しに行く際も、あくまでも選ぶのは、企業側だけではなく、自分にもあるということ。つまり、大企業は、完全に選ぶ立場にあるから、選ばれなかったとしてもそれは、企業の選択をだ。逆に学生が来ない、学生に見向きもされない企業は、この大企業が採用を絞っていることをいいことに、自分たちが扱いやすい企業を選んでいる。ある意味、時期を利用しているにすぎない。
学生に人気がない企業、つまり大企業ではない企業でもいっぱいいい会社がある。ただ、人気がないのは、学生のアンテナの感度があくまでも学生レベルしかない為、世界的に見てもいい会社と合致することはあまりない。
ただ、そこで忘れないで欲しいのは、基本的な就職活動は、自分の将来を選択することが大手を振って許されている数少ないポイントということである。この世に生を受ける、結婚する、子供ができる、そして人生を全うする、これは全て自分だけに選択ではできないはずだ。
就職や転職は、自分で自分の責任を取らなければならない数少ない選択の一つだ。大学を選択したといえるかもしれないが、所詮、大学の選択は親によるものが大きい。なぜなら大概親が学費を出資しているからだ。自費で生活費も含めて自分の人生に影響する学校に行った人は、先日なくなった高校の先輩と、料理人になった高校の同期、そして、和歌山から上京してきた学生の3人しか知らない。

就職活動をする時の注意点は、あくまも自分で選択するので、受けている会社が行きたい会社かどうかは、内定通知がきて、回答するまで徹底的に悩むこと。企業は、自分がどんなに素晴らしいかをアピールするが本当にそうかは分からない。例えば、大企業と取引がありますといっても、名だたる会社と月に10万円程度かもしれない。必ず、定性だけではなく、定量でも調べたり質問すること。また、ちょっとでも行きたくないなと感じたら、いかない方がいい。面接官の態度や仕草が気になるとしたら、相当猫をかぶっているはずな場所でも出てしまうことを意味する、入社後はどカーンと嫌な態度や仕草がてくるだろう。人間のカンこういうところで大きく影響をする。
入社後の仕事内容が、教育期間が長い、過激であれば、洗脳を強いる、つまり、学生でやってきたことを無視しているにすぎない。逆にOJTがメインの会社は、キャリアを分けてくれる優秀な先輩をたくさん抱えていることを意味する。その様な会社は大企業が多い。結果として大企業がいいということになってしまうが、小さい会社でも数は少ないがあるはずだ。
もちろん、学生のほうも、企業に対する調査や、入社後のビジョン、人生のビジョンを語れなければ、採用はないと思っていい。この3つが自分の言葉で語れないのであれば、企業側は採用しないだろう。
お互い選択の自由がある。選択する為に学生は、調査や将来についてを考える必要がある。

新入社員の人は、来年4月から2年目。2年生とは言わない。もし、言われているのであれば考えたほうがいい。あくまもキャリアが2年目であり、企業は学校ではない。1年生も2年生も企業にはいない。
そういう考え方があるとしたら、それは洗脳されえている、というかこの1年のキャリアの結果は、洗脳による対価であり、キャリアに対する対価はない。自分に許されている選択の欲求を放棄しているか、手に入れられないかのどちらかである。選択を知らない者は、チャンスが来ても選択はできなくなる。

私は、転職をたくさんしているが、自分に中では常に選択をしてきた結果えある。一社にいても企業内における選択自分に目的に会うものではないか、もしくは選択が企業内ではなく外にあっただけ。俗に言うプロパーの社員を見ていると、選択をしたことがないから、仕事上でも選択をしない。企業文化の維持に役に立っているのだが、決して健全ではないと思う。この様な会社は、大企業ではかなり少なくなっているが、依然存在している。売り上げが下がっている会社は、プロパーになんらかの特権があるのかもしれない。

グローバル化している世の中だから常に選択をしてもいいと思う。グローバルといっても海外という意味ではなく、自由が許された世界、つまり、欲求を満たすことができる環境という意味だ。
私の部下には、常に選択しろと伝えているし、面接があるから会社を休むことを知ったとしても、とやかく言わない。選択の自由は常に本人にあるからだ。引き止めの行為なんて愚の骨頂だと思う。選択から外れただけだ。それも仕事としての。人として言われたわけではない。ただし、引き止める人は往々として、人としての選択からも外されているケースも多い。

企業が1年1年レビューするように、ボーナスや昇給だけではなく、自分の1年をしっかりレビューすることが必要。残るのも、転職活動するのも、転職活動を停止するのも、みんな選択だ。

転職を考えるビジネスマンは、どうなのか?
決して、会社や上司部下の不満をぶちまけないで欲しい。所詮、今の環境という天の神々に対してツバを吐いているのと同じだ。状況が選択を迫られるにであれば、必死に選択すればいい。何がやりたいか、それだけだ。たまたま今の会社で出来ないのであれば、実現できるところを探せばいいし、給料が安いのであれば、それで何が困るのかを考えて欲しい。生活がこまるのあれば、転職の前に生活を引き締めなきゃならないし、自分の対価が安いと感じるのであれば、認められる様に努力をする、それでも認められないのであれば、公に知らしめるという意味で転職を考えても遅くはないのではないか?
先日お会いした私のいる業界とは全く別に業界で活動されているとある会社社長は、とても面白いことを言っていた。
「会社を作ったのはやりたくて作ったのではなく、必然から生まれただけだ」
ここまで断言できるようになりたいと思う。


私自身、親がやってきた人生を送ることが出来ないと思っているし、超えることも出来ないと思っている、逆にできることと言えば、自分の責任の中で興味があること、やりたい事を今という状況と経験に照らし合わせてチョイスすること。結果として、親が実現しようとしている人生の幸せを別の角度実現しようとしているだけだ。

近頃、親が「お前は本当に幸せなのか」と聞いてくるが、その気持ちだけ受け取ることにしている。幸せなんて、結局死ぬ直前のレビューでしか分からんし。仮に幸せでないと感じたとしてもその時は、すでに死からのお迎えがきている。

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