とあるドトールでスーツをまとわったおじさんと若手リーダっぽい人が話しているのが耳に入った。どうやら派遣会社の営業さんらしい。今思えば、ヘッドホーンしておけばこんなくだらない話を聞く必要がなかったんだが。。。
ある人の下に若い人間をつけるときに、その人は「普通の人」がいいと言った。隣の席で思わず吹いてしまいそうになった。普通の人がいないならキチガイ集団か?
さらに紛糾したのが、その話を聞いた人の理解は、その人たちの上司は「付けるべき人がいない」と言われたと報告していたらしいとのことだ。
普通の人という概念は難しい。どれが普通でどれが異常か。それを見極めるにはある程度条件が必要だ。例えば、お客様先に同行させて問題ない人はどういう人か?仕事を一人で合わせる人はどういう人か?
やるべきことが分かっている状態であれば、普通の人のレベルが定義できる、あるいはあわない人えも近い人を推すことはできる。
いないとなると、よっぽどその人とんでもないことが出来る人なのかもしれない。
それとも私もだいぶ外国人的な思考になってしまったのか。
よくよく聞いてみると、普通の人定義はやる気のある人という意味だったらしい。だったらそう言えばいいのに。でもそれを聞いた人は「付けるべき人はいない」と報告するであろう。
仕事なんて誰もしたくないのは常である。できれば変化がなく、できればラクな仕事で評価は欲しい。普通の人はそう考える。そこで、上司は、仕事を与える時に動機付けをしてあげることになる。それがなければ決してしたの人間は手を上げないであろう。やる気のある組織は、動機なんて自分でいくらでも探すことができるから動機付けはあまりいらないであろうが、やる気が組織的に欠落している組織では、上司からの注入が必要不可欠なのである。つまり、動機付けは、組織の最初の駆動力である。
その上司も動機付けは貰っていないであろうから、回したくても回す燃料がない。
彼らもその上司も動機に飢えているのである。
教訓
コーヒーショップではヘッドホーン着用のこと。
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