7/26/2010

interest

テレビでケニアのスラム街の子供達に医師の無料治療を受けさせるChild DoctorというNPOの活動について大学生が論じていた。いろいろ意見があったが、私の意見。

たった毎月1000円と言えるならば、まず自分が入って周りに良さを伝えたい。それでいいのではと思う。

それが私の興味であり、実行すれば、必ず結果が生まれる。

以前いた会社は寄付の領収書を提出すると、額面と同金額を会社が寄付するシステムがあった。入社時にかならず説明される。日本法人では適用する人はあまりいなかったらしいが、本社では一般的らしく一人当たりの寄付金は結構な額になるらしい。個人の申請した寄付金全てを会社がそれぞれの団体に寄付することになる。担当の人間も大仕事かもしれないが本当の社会貢献。

閑話休題
近頃、新しい事に興味を持つ人が少ないと言っているが、ある人に真顔で「あなたが示していないからあなたのやっている事に興味を持たないんですよ。」と言われたことがある。とよーく考えてみるとこの話はおかしい。そもそも興味を持つのは本人であってもつ持たないも本人にあると思う。見せることは大切だが結果まではどうにも出来ない。見せ方が悪いのではという意見もあるが、見せる事の反応としては興味を持つという歩み寄りが結果だと思う。もし結果まで制御される、あるいは強制されるとしたら完全に奴隷である。訳もわからず楽しく穴掘り。まして、見せている事で相手が不快になるならばもう興味を持たせるとかは別次元の話になる。誰もゴミために興味は湧かないどころか近付かない、あるいは目障りであろう。

となると、興味になるかゴミためになるのかは、やはり周りの環境、それも現在ではなく、今まで受けた(過去形)あるいは、置かれて「いた」(現在完了形)環境に依存するのではと思う。
今まで受けた(過去形)というのは、例えば、親が外科医で、血まみれになって患者の命を救うところを見慣れていれば、血を見る事に対して恐れをなさないが、普通の人が血まみれの父親をみたら、いくら父親でも殺人者かあるいは被害者。もっと簡単に言えば「きゃーっ」である。医者の子供は、親の意向もあるだろうが、医者になりやすい。政治家の2世議員もまさしくだと思う。本当の意味で血である。(間違った意味の「血」という話もあるのだが、それはおいおい。)

現在完了形まで時制をもっていく例では、私の母親が英語の勉強を始める気になってきた。もう60過ぎのオカンが。それも外国どころか国内旅行になんて行ける体ではなく、行ったとしても都内限定日帰りな人が。会うたびにこれからは英語が必要やでぇ。向こうの友人がこんなことしてるなど言っていたからかもしれないが、理由は、近所を歩いている外人に道を聞かれたりする事が普通の人間の1.5倍くらい多い(自己申告)かららしい。(まぁ私が洗脳する理由はもう一つあるのだが。それもおいおい。)

興味は自分から持つことが一番大切だということだと思う。興味をもつかどうかは環境に依存する。

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